みちのく占いかわらばん

四柱推命鑑定士 悠岑(ゆうしん)

四柱推命かわらばん

親との別れ

 
この事を書くのは正直
迷っていました
自分の気持ちの整理が
つかないままだったから
 
「死」
 
という言葉を使うのが単に嫌だったのと
実の父親が亡くなった事を書くことで
同情されるのも嫌だった
 
間の薬で今は(平成22年1月当時)
落ち着いている自分
また運命鑑定士として
「人の死」というモノを改めて考え
HPをご覧くださった方に
伝えたいとも思いました
 
死というモノは生まれた人間が皆、訪れるということ
生まれた瞬間から老化が始まり死に向かっていく」=
必ず避けられないこと
早いか?遅いか?そのスピードは人それぞれ
 
だから「生きている今を」
他人と比較することなく
「将来の死を」
変に怖がることなく
「自分らしく生きる」事が大切
 

区切り線

 
状況がどうであれ
お金があってもなくても
健康でも健康じゃなくても
生きるという事を
まず忘れてはならない
また放棄することなど論外
 
どんなしんどい時でも「道の選択」はある
 
私は基本「人の死期」を鑑定しない
「死」だけのみに焦点を絞って
生きるというのも
精神的にしんどい
その事だけに怯えて
暮らすのはもったいない
 
病気になったら
今は「病院」という所がある
納得のいくまで病院で診て
もらったらいいと思う
思い存分「病人」を楽しむ
に専念することオススメする
(自分もそう思っている)
 
税金を払っているのだから
医療機関はどんどん利用しなければ損
金銭面で行けないと言うのであれば
役所での高額医療費貸し出し制度などあるし
 
それ以前に・・・・
というのであれば
「生活保護」の制度もある
世の中どんどん利用するべきだ
 
例え病気で入院してても
今を心穏やかに生きるのが良い
例え治らなくても
人生が終わる瞬間まで
いざ自分が死ぬ時など意識は無いのだから
心配はいらない
 
変に物事を考え前世・
あの世等を考えるのは
普通に考えておかしい
 
家が・お墓が・先祖がどうのこうの
といった事も全く関係がない
そのような事を言う占い師は
全国に3歩も歩けば
見つけられるくらい多いのでは?
パソコンなどは1クリックの速さだろう
 
残された家族も何かにすがりたい思いで
必死についそんな考えも出てくる
 
「死」=「無」
 
になるのが正解
非科学的な回答ですが当たり前なお話
意識はもうないのだ!
 
人生が長い・短いだけで
幸せ・不幸せは比例しない
それは本人にしかわからない事だから
周りが「幸せだった・不幸せだった」
と決めつけることの方が
失礼だというのが私の持論である
 
区切り線

 
昨年(平成21年前半)
養父母を通じて連絡が入った
私の実の父親が入院したとの事
 
養父母の口から生家の電話番号を知らされた
スムーズに嫌がらず教えてくれたのでした
生みの母親(実の母親)に電話するのは
○十年ぶりだったのでとても緊張しました
 
病名は知らされていなかったから
電話口で泣いている
生みの母親と話して
冷静さを装っていたと思う
心の中では、頭の中では、
色々な事を考えていた
 
私の上に姉が2人下に
妹1人がいるのだけれど
生みの母親と何度か話して
わかったのですが
私と話している事を
姉妹には隠している様子でした
 
近所に住んでいる姉や妹に
世話になっているので
申し訳ないからだと思った
姉や妹とも○十年話した事もなかったので
しょうがない
 
区切り線

 
高校1年までは普通に
「いとこ」として行き来していた
 
だから実の父親の顔もしぐさも・
話し方・行動など
しっかり覚えている
父親は九州の熊本の出身
長男だったらしいが母親に一目ぼれをして
お婿さんになった
 
船に乗っての機械の修理みたいな
仕事をしていたらしく
出張続きで家に居ることが
少なかったらしい
だから見た目は熊のような感じ
だけどいつも笑っていて怒ったことはない
家族も怒った所は見たことが ないと言う
 
そのかわり生みの母親は昔から厳しい
言葉も態度も「キツイ」
バランスがとれてちょうど良い夫婦
 
父親が定年前
母親の事(体調・精神面)で
早めに仕事を辞めて
交通の良い場所に引越しして
仲良く生活していたみたい
 
かなり働いていた父だけに
収入面も良かったとは
昔聞いた事がある
・・・・たぶん
 
かと言って家に帰って来ても休みの日は
母親と一緒に家事や買い物を楽しくしていた
 
欠点といえば・・・・おっとり
母親が文句を言えば上手に交わして一目散に逃げる
私は父親の欠点をそっくり受け継いだらしい
 
いいものか・・・・複雑になる
 
区切り線

 
生みの母親に病名を聞いても
なんとなくしかわからなかった
 
2番目の姉に全部任せて
お願いしているとの事
話を聞いて
「悪性リンパ種か白血病」 だとはわかった
 
それから自分にできる事を考えた
父親が入院している病院のHPを探して
専門医がいるのか?
設備はどうなのか?
他の病院も比較して
面会には遠くなるけれど
転院したらいいのか?
その場合の移動には
父親の体力を考えると救急車かヘリか?
今の担当医はどのくらいの経験があるのか?調べたり
私にはそれができる限界だった
 
その時自分の連絡先も教えておく余裕がなかった
多分何かの時は
養父母が生みの母親・姉に教えてくれる
と勝手に解釈していました
 
区切り線
 

 
実母には時間を見つけて
電話を入れるようにして
姉が来ている時は連絡はしなかった
 
私の他に3人の子供が付いている
いまさらジタバタしても治る時は治る
治らない時は治らない
そんな感じで自分に言い聞かせていました
 
幸いな事に生年月日を聞いていなかった事が良かった
私のことだから・・・・と想像がつきます
そして私の仕事も休める状況ではなかった
 
私自身精神的に一杯一杯なのと
 また当時の事を思い出してしまった
 
「何で私だけ養女なの?」
「1つ上のお姉ちゃんじゃダメだったの?」
小さい頃に小さいながらいつも考えてた事
 
今はもう全然気にしていない
というよりは「この環境が良かった」
って素直に思ってた
 
何一つ不自由なしに生きてきたのでは
私という人間はますます甘えてしまうから
 
でもここに来て会えない
小さい頃から育ててくれた
養父母に申し訳ないって
思い・・・・
後少し我慢してみようもう少し
 
区切り線

 
1人で
「そろそろ月運があ~だこ~だ」
って思ってはいたものの数日が過ぎた
鑑定が終わって家に着くと何度も家に留守電が
養父母からだった
 
「亡くなったのは木曜日なのに連絡が土曜日」
よくよく聞いてみると
1つ上の姉が父が亡くなりすぐに
養父母の所へ私の
「至急連絡先を教えてほしい」
と電話があった
 
養父母は逆に姉の連絡先を聞いて
姉に「後から私に電話させるようにするから」
と伝えたらしい
養父母は昔
私と生みの母親が大ケンカした事を考え?
はたまた?
私が県外に居る事が言えなかったのだろうか?
 
その後姉に私の「家の電話」
「携帯電話」も知らせないまま
養父母が直接電話してきたから
私の頭の中は「???」
 
養父母からは
お通夜など自分達も行けないから
「オマエも行くことはしなくていい」と
電報だけでいいと
 
 養父母に怒っている場合じゃなかったので
急いで姉の携帯番号を聞いて連絡をしました
ここで病名がハッキリわかったのです
「T細胞白血病」という名
 
これは大昔九州地方に多かった
ただ発症率はかなり低く
10万人に数名という話だった
殆どの人が1年は生存できない
多くは半年未満
父親の場合3ヶ月だった
 
かりに病名がわかっていたとしても現実面
何のしようもなかったハズ
家族がいくら泣いても拝んでみても
ドクターがいくら優秀でも
  
父親が楽になって良かった
後は自分の気持ちと
「どうケリをつけるか?」
お見舞いに行かなかった自分が
葬式にも出れない状況が悔しい
 
養父母には私1人が子供だった訳で
私が行動することで
自分達がおいていかれる不安とか
養父母2人にしかわからないモノが
あるんだと思う
  
区切り線

 
ここで淡々と書いているが
小さい頃から(
「他のページに書いているけれど)
難病で亡くなった叔母
アルツハイマーと脳溢血の繰り返しで
亡くなった祖父母
叔母と同じ病気で亡くなった叔父
自殺で亡くなった親戚
事故で亡くなった親友・
病気で亡くなった親友
その他お仕事関係で短期間に
人の死という事に対面してきました
 
誰が亡くなっても悲しいもの
狂いそうになる
 
どんな形であれ「人はいつか亡くなる」「無になる」
それを 受け入れるには「時間」しかない
正直そう思います
 
だからどんな状況だろうと生きている
「今が大切」なんです
自分のプラスに思える部分
マイナスに思える部分も生かして
あなたの人生を自分らしく生きてほしい
 
区切り線

 
少し時間が流れ姉から電話があった
納骨は私が来てからしたいとの事
 
場所がなかなか分からずいた時
山形の知り合いが
旦那様の実家に行くということで
近くまで一緒に行きました
 
「どんな顔して合えばいいのか?」
「きっと落ち込んでいるに違いない」
など考えながら
 
1つ上の姉が間違わないよう迎えに来てくれてた
玄関の前に生前父が乗っていた車があった
玄関の前には母親
「あら、○○久しぶり~中に入いらいん~」
父の写真に手を合わせた
 
区切り線

 
話はここで終わり?か?と
思うかもしれないけれど終わり
父親との別れで思った事は
残された家族には
時間というモノが全て解決してくれる
という事
 
その時はいくら悲しくても
苦しくても・狂いそうになっても
忘れる」という言葉があるように
人間も少しずつ時間の流れとともに
記憶が薄れていく
残された者が忘れないよう
お墓や仏壇があると私は思う
 
亡くなった人は「」になるのだから
どんな亡くなり方をしても
 
 父親が
「幸せ・不幸せ」
「人生短い・長い」などはわからない
   
区切り線

 
会えないのは つらいけれど
それは変えられないこと
いつか皆 そこに行くから 
その日までのさよなら
 

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