みちのく占いかわらばん

四柱推命鑑定士 悠岑(ゆうしん)

四柱推命かわらばん

悠岑の過去と現在

2019.07.20更新
誰にでもある「現在」「過去」ですが、
このページは、四柱推命占い師悠岑の
「現在と過去」を書きました。
「生まれてからの事」を「占い師目線」
で書いています。

 


 
幼少時代、
私は宮城県の
ある家庭の四人姉妹の、
三女として生まれました。
生後二週間後に「いとこ」の家へと、
養女になりました。
そこでは小さい頃から可愛がって育てられ、
何の不自由もない生活を
送っていたのです。
(あくまで経済面では)
 


 
小学生3年生の時、
友達と一緒に歯医者へ。
その時、健康保険証を
見みながらの話し。
 
私「○○ちゃんは長女と書いているから、
一番初めに生まれたんだぁ~」
だけど私は『養女』?
「そっかぁ~一人っ子だから」
(小さい頃は素直!)
私「○○ちゃんには弟がいるし、
そういう意味かぁ~」と、
自分だけ思っていたのです。
 
小学校低学年の帰り道、
男の子に
「お前もらわれっ子なのかぁ~?」って。
私、急いで家に帰えり、辞書で調べたのです。
後からわかったのですが、
「男の子の親」が「自分の子供」に私の事を、
話していたとの話。
 
またある夜、
養父母が出掛けている時に、
当時生きていた「祖母」が私を呼んで、
「今からしゃべっごと(話すこと)
言わねって約束すっかぁ~?」って。
何となく嫌な感じ。
「ばあちゃんなに??」って、
平常心を装って。
 
内容はやはり「養女」の話でした。
「このごとしゃべっと(話すと)
ばあちゃん、お父さんとお母さんに
殺されっからなぁ~」って。
 
その言葉に脅えてしまい、
「ばあちゃん死んじゃう」って。
当時真剣に悩み、
祖母が亡くなっても、誰にも
話す事はありませんでした。
(誰でも信じちゃいますよね~)
 
その後も時々、学校の帰り道に
からかわれる事がありました。
わざと「ひざ小僧」に砂をつけ、
養父母には「転んだ」と、ウソをついて、
悔し泣きした事を隠していた思い出が。
(言えるはずないですよね)
 
同時に、家には「養父の姉」が、
ずっと生活していたのです。
30代の頃から
「筋萎縮性側索硬化症」という難病。
養父母は「養父の姉」の介護が
忙しかったので、
私自分の悩み事など、
話せなかったのも事実。
 


 
「養女」の事を両親から聞いたのは、
養父の姉が亡くなり、
祖母も亡くなって、
私が高校に入学する直前。
(色々と書類が必要になるので)
 
その時、私の反応はいたって普通。
泣いたり怒ったり、一切なし。
「こんな時に動揺したって、
どうにもならない」と、
自分でも不思議なくらい、
冷めた態度でした。
 


 
次第に両親との口争いも多くなり、
必ず出てくる言葉が、
「養女」または、
「私たちが本当の両親じゃないから?
こんな事をするの?」って。
 
どこかで我慢していたものが、
プツンとキレてしまい、
ある年齢に親元を離れ、友人頼みで
色々な場所に住み、
最終的に山形県で
鑑定をしている私の誕生。
 
その後も小さな喧嘩はありましたが
それはそれで、良かったと思っています。
 
今ではつかず離れずの関係。
そんな事を思い出しながら、
四柱推命鑑定書の命式を見て、
妙に納得している自分。
 
あたり前の話になりますが、
人って、嬉しかった事や楽しかった事より、
衝撃的な事・辛い・悲しかった事の方が、
明確に記憶されているのですね。
 


 
人間、誰でも人生の中で、
自分だけのストーリーを、
作りながら歩いていく。
その時、少しだけでも、
お手伝いができればと思い、
日々、鑑定しております。
 

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